ガーデニングが流行りである。園芸は昔から愛好者が多いが、横文字のガーデニングであるところがミソである。つまりイギリス風園芸なのである。私は熱心な園芸家ではないが、学生時代の貧乏ゆえのネギの再利用から始まって何となくだらだら続けてきたので、植木鉢だけは相当所有している。ちょいとガーデニングもしてみたい。
園芸とガーデニング、どこが違うのか。ガーデニング雑誌を眺めると、どうもいわゆる灯籠やら刈り込んだ松やらの人工的おもむきの強い日本庭園とは異なっている。浅い森のようなありさまが良いらしい。高い樹あり、灌木あり、草花あり、れんがの小道あり、たまには裸のギリシャ風彫像などもある。
ガーデニングの本家、グレイト・ブリテン島は中世には緑あふれる島だったが、20世紀初頭には森林面積は全体の5.3%と、ヨーロッパでも森林の少ない地域となった。これは中世を通して船材やガラス産業用の燃料として木の大量伐採が行われ、農地が開墾された結果だった。オークなどの高い樹木はまばらになり、地面まで陽の光が届く林ではとねりこや榛といった灌木が育つが、これらは燃料や用材として定期的に伐採されるために一定以上には育たない。そうした明るい森には草花がはえ、季節ごとに アネモネ・桜草・すみれ・ラッパ水仙・野いちごの花が咲く。これがcoppice-with-standards woodlandと呼ばれるイギリス特有の雑木林である。
人の手により管理された人間的な森。だから英文学者の吉田健一氏によると「英国の景色位、ヨオロツパで濃厚に人間的なものはない」わけである。イギリスのパーク(公園)、そしてガーデン(庭)はこうしたコピスを模倣したものであり、ガーデニングは小さな森の再生なのだ。といっても、現在のいわゆるイギリス流ガーデニングにも、長い長い歴史あり。入門書としては中尾真理『英国式庭園』(講談社新書メチエ)をお勧めする。
日本の庭でも、もちろん自然がある。しかしそこには自然を「作る」という観点は弱い気がする。日本の整えられた庭では、自然はそこに最初から「在る」のだ。京都の見事な回遊式庭園を自分のものにできたとして、そこに自分で何か球根でも植えてみよう、という気になるだろうか。怖れ多いことだ。日本の庭の中には、もちろん象徴としてだが、深山幽谷や海や極楽浄土さえありうる。それは神の創造物のようで、人間が親しく関われるような自然ではない。
一方、日本でも、人間に親しい自然は広汎に成立していた。それは江戸時代には村里近くのいわゆる「里山」である。これはコピスに類似した浅い森となっていた。アニメの「もののけ姫」を見たひとならわかるだろうが、ラストに描かれた、原始の森が滅んだのち再び再生した森である。
こうした日本の森のありさまがいかに歴史的に作られてきたのか。瀬田勝也氏の『木の語る中世』(朝日選書、2000年)は、こうしたことを伝説や縁起、史料から考察したおもしろい本である。特に奈良春日大社の森の枯稿(枯れること)をめぐる政治と信仰のからみあい、中世から近世の子どもの名付にみられる松・楠などに対する民衆の心性の変化などは、とても興味深い。
私が史料を査したことのある北摂池田の畑村の場合、江戸前期にすでに居住地近くの山は松などを植栽して燃料としての薪や松茸を採り、その奥の山は樹を切り払って草原にして牛の飼料や肥やしとしての芝草を作っていた。こうした里山を利用した農民の庭はどういうものだったのだろうか。そもそも、一般の農民の家に庭といえるような趣味の空間があったのだろうか。江戸時代の町人たちが路地で坪庭で、園芸に熱狂したことは有名だが。
子供の頃、秋ともなれば、ふるさと香川の山できのこを狩った。いぐちに、はったけ、油たけ、黄しめじ、じこうぼう。だが芳醇に分解して匂い立つ大地から、こうした贈り物を受け取ることは、けっして当たり前のことではなかったのだ。かの入り会いの山は、父祖の墓の山でもあり、ふもとには氏神が頂上には竜王神が祀られ、人々が山の幸を求めて入る里山だった。だからこそ、土地の人たちは大切に下草を刈り手入れしてし、明るいきのこが生える山があった。その山は、今は私有され国有されることで、かえって放置され荒れてしまった。
ふるさとの山は今はない。でもそんな私も、小さな森を夢みている。私の冬寒いルーフパルコニーではちょっと無理かもしれないが、なんと「シェードガーデン」というのがオランダにはあるそうだ。日陰でも咲くクリスマスローズや緑の葉っぱの庭を育てれば、いつか私の森もできるかもしれない。2000.12