朝顔 Morning Glory
2002夏

ヒルガオ科アサガオ属。つる性一年草。学名Pharbitis nilだが、サツマイモ属(Ipomoes)とする説も。原産地は中国から東南アジア?Aあるいはミャンマ中北部からヒマラヤ東部と推定されている。

日本に渡来したのは奈良時代末。遣唐使が薬草として持ち帰ったという。薬となるのは乾かした種で、「牽牛子(けにごし)」と呼ばれた。主要成分はケンフェロール配糖体で、下剤・利尿剤として効能がある。また虫さされにアサガオの葉の汁をつけると腫れないという。この頃は花を観賞することはなく、『万葉集』に七草のひとつとして出てくる「朝貌」もききょうだとする説が一般的である。

平安時代には、花が鑑賞されるようになり、『源氏物語』や『枕草子』の「草の花は」の項目にも登場する。すぐにしおれることから「無常」やはかなさのシンボルとして、寝起きの顔から連想して恋に関わる花として歌や物語に登場した。10世紀の『本草和名』には「牽牛子 和名 阿佐加保」と記されており、「あさがお」と呼ばれるようになっている。

江戸時代には園芸植物として多彩な展開をとげた。寛文期(1661〜73)に白花が発見され、その後紫・薄紅・濃青色などの花色があらわれた。また重弁の牡丹咲のような変化朝顔も登場した。こうした変化アサガオは種子を結ばない変異を持つものも多く、親や兄弟木から種を取ることで維持されるなど、高度の品種改良技術が駆使されている。文化末年から文政初年と弘化末年から文久初年の2回のブームがあった。文化・文政期(1804〜30)の第一次アサガオブームには『牽牛子類図考』などの専門図譜も出版された。この頃には現在では失われている黄花があったことを滝沢馬琴が『玄同放言』に記している。嘉永・安政期(1848〜60)の第二次アサガオブームには、采咲や代咲のさらに複雑な花が現れ、入谷の成田留次郎を中心とした愛好家が花を競った。

明治に入ると、変化アサガオブームは下火となり、種子で増やせる大輪花が好んで作られるようになった。

花ことば はかない恋。

生協の宅配で、時々花の苗を買う。燕朝顔とかで、ハンギング用とかで伸びないコンパクトなものもある。たしかに、そんなには、つるが伸びなかった。
ふつうの朝顔で、ネットはりが大変である。毎日夕方、あらぬ方向をめざそうとするつるをネットに誘導するのが一仕事。たまに右巻にして失敗する。
朝顔棚の茂りをみると、これぞ夏という風情がする。日本人の血なのか。
江戸時代の大坂では、さまざまな番付類が発行された。私のお気に、の一つに、「朝顔大天狗」とか「朝顔大寄」といった、朝顔(を作る人)の番付がある。朝顔愛好といえば江戸かなと思うが、大坂でもさかんだったようだ。文化13年(1816)の「大阪はやり物見合角力」では、朝顔が大関の位、当時は横綱がなかったので堂々トップに入っている。小結に「ふぐ汁」があるので、季節がちがうやないかい、夏は朝顔、冬はふぐ汁や、とつっこんでしまう。
朝顔の番付を見ると、玉水町の広岡加島屋久右衛門とか、長堀の住友とか、当時の豪商も入っているけれど、「島之内左官」といった職人やお寺さんも入っている。
どうやって順列をつけたのか、調べてみたいと思っていたら、「タキイ」の雑誌におもしろい記事があった。京都では明治以降新京極にある誓願寺横で「花あわせ」が行われており、今も夏の朝には丸山公園や府立植物園で朝顔展が開かれているというのである。各地に朝顔の会があって朝顔展を主催している。大阪でも長居の植物園でやっているらしいので、いってみたいと思う。しかし、なぜか、つぼみの写真しか撮れない、こんな私に可能だろうか。