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HPりんごネットの履歴

 

Lingoyaのつぶやき(個人的なことです。有意義な記載はありません)

2012年春、Lingoyaこと中川すがねは名古屋に移住し、愛知学院大学に転職しました。長らく大阪の北摂の山の中腹に居住していましたが、現在は主として書庫としています。名古屋と大阪と香川をうろうろ状態。

職業教師。日本史研究者。

目と記憶力悪し。気管支炎と肩こり持ち。バツイチ。二重人格といわれる双子座。小折れができず最後は開き直るA型。火星人。

通販とデパ地下の上得意。ふだんは図書館と職場と家と本屋、時々喫茶店やコンサートホールのあいだを回遊するというイワシのごとく地味な生活を送る。特技買い物。趣味マウスお絵かき、バレエとフィギュアスケートとピアノの鑑賞、猫、SNSゲーム、古文書。

どちらかというと他人は苦手な猫型。どんな旗のもとにも集まらない、掲げないのが信条といえば信条。
 

私の小さな歴史
1960年6月 安保闘争のさなか樺美智子の亡くなる3日前、四国の地方都市に生まれる。名前は大伴家持の「咲く花は うつろう時あり あしひきの 山菅の根し 長くはありけり」という古歌から取られた。家持が蘇我赤兄に政権転覆の陰謀に参加を持ちかけられた際にお断りを詠んだ歌らしいが、私は長らく一時の花より長い根っこやなんて小市民的~と思っていた。命名者の母は大伴一族はいつか栄光をつかむぞという執念深い歌だと主張。この解釈は未解決。誰か教えてください。

なぜこんなに世帯くさいのか謎

1966年~1973年 新興住宅地化しつつあった郊外の職員住宅に育つ。まわりは農業高校の麦畑で、古井戸やらおやしろやらある民俗的世界を経験するが、高度成長の波により公害と原水爆実験とチクロや赤色5号なんぞにもどっぷり浸かり、何となく大人になる前に世界は滅びるような気がしていた。小学校では「シベリア監獄」なんぞというイジメもあり、給食は三角食法に生温い脱脂粉乳だったし、歯磨き体操やら詩吟踊りやら乾布摩擦やらちょっとヘンなことも多かった。

1974年 町に移住。孟母三遷だったような話もあるが、私は友達との別れが悲しかった。町の中学校は10クラスもあり、「ミュージックライフ」なんぞという雑誌を購読するススんだ友人もできジョン・レノンに惚れ、初めて買い食いとかもした。

1976年 高校時代は暗かった。革命詩人になりたいと思ったが才能がなかったので(爆弾作る知識もなかったので)、古都の大学を受験するも当然のことながら落っこち、浪人する。

1980年~1984年 第一志望及ばず、大阪のお山の上の大学に入学。はじめて最寄りの駅を降りてひなびた商店街を見た時には、「都会」に出た筈なのにどうして、と悲しかった(はじめて公設市場とか、銭湯とか経験した)。はじめての一人暮らしにはまり、いい年してテレビっ子になったり、コミック買いあさり。大学の勉強は自由気ままでとても楽しく、いい友達、すぎらしい先生にも出会えて、「まともな」人生設計に失敗し、「長学歴」へ傾く。

1985年~ 院浪後めでたく「入院」。古文書オタクとなり、バイトに飛び回る。お金がないのに、お金の研究とは、これいかに〜。

1990年~ 30歳にしてはじめて「定職」につく。教職とは、教育能力の他に、事務能力や、セールス能力、さらには世渡り能力まで要求されるものだということに気づき始め、白髪が増える。教室は時々楽しく、たまに悲しい。

21世紀直前に私は離婚した。同志と思った人に他の女性ができたため。10月1日に始まり12月に離婚届を一人で提出しにいったその苦しい経験のなかで、私は人に対する無邪気な信頼を喪った。しかし最後にはプライドをうしなわなくてすんだ。支えてくれた両親、やさしいひとたち、そして女性史を通して過去の女性たちに救われた。それとたぶん、このりんごネットに。アップルマッキントッシュにも感謝。

前の職場の甲子園大学では退職をせまられた。募集停止になった学部の教員のうち新学部に移行できなかった教員たちに、理不尽にも自己理由での退職を言い渡したのである。2年のあいだ相談会と称して一人ずつ呼び出されて、不条理なことを言われ、大切なものが崩壊していくのを見た。ストレスで手がしびれたけれど、戦う覚悟をきめていたので、どうにか研究も教育も続けることができた。自分もたいへんなのに思いやってくれた周囲の人たち、少ない学生たちのことは忘れることができない。人間を大切にしない組織や社会の到来に憤っている。そしてどんな場所にあっても、小さくてもいいから抵抗し、互いに思いやることがどんなに大切かと。

いつも迷いはつきない。でもとにかく好きな歴史に関わって生きていけることの幸せに感謝しています。

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