META NAME="keywords"content="平野屋武兵衛,流行歌,権兵衛">

権兵衛が種まき


権兵衛が種まきヤ からすほゼく 三度に一度ハ おわずバなるまい ずんべら ずんべら ずんべら

同かへうた

むこふの小山の 小松の小かげに 十六しまだ(島田、島田髷の女性のこと)が でてきてまねく 三度に一度ハ おわずバなるまい ずんべら ずんべら ずんべら合

同かへうた

こうゑき(交易)がかなわにヤ から(唐)からセめくる 大名が一同に うたずバ成まい こりヤこりヤこりヤ 唐人ちりちりぱつと


別に学校で習ったわけではないのだけれど、何となく耳なれた歌です。もっとも最近の若い人はしらないみたい。よくわからないけど、「なまけもの」の権兵衛さんの、骨折り損のくたびれもうけのような、ちょっとまぬけな歌だと思っていました。

ところが、この間北原進『百万都市江戸の生活』(角川選書、1991)を読んでいたら、おもしろい話が載っていた。徳川将軍家の目黒筋御鷹場で、鳥を飼い馴らしたり飼育しておいて、いざ鷹狩となると鳥が捕りやすくするように準備しておく「綱差」役の者の名が代々権兵衛といったというのである。東大教養部のあたりの駒場の原で鶉狩などしていたらしい。とすれば、権兵衛は鳥に作物の種をほじくられて困っている農民ではなく、最初からえさとなる種を播いて鳥を寄せていたことになり、歌の意味は一変します。権兵衛さんははっきりいって、将軍家の「権威」を保つための「手先」ということに。ただカラスは鷹狩の獲物としては不適切なので、えさを食べさせまいと追い払う。でもそうすると鶉なぞも逃げてしまうので、そうそうは追い払えない。カラスはそれを知っていて、ずうずうしくやってくる。ジレンマですね。

鷹狩は将軍や大名にとっては一種の軍事訓練のようなもので、武士としての権威を保つものとしても大事でした。しかし実際には、裏で鳥を寄せとくなどの「八百長」をしていた。また御鷹場に住む農民にとっては、いろいろと制限が課せられ、不自由でした。こうしたことを考えると、権兵衛さんの歌は、権力と戦うカラスに肩入れした農民の歌のようにも思えてきます。おもしろい。

このずんべら節、替え歌はたくさんあったみたいです。二番目のは幕末の欧米による開国要求に関するもの。庶民の素朴な攘夷的な考えがあらわれているのか、それともペリーの開国要求にあたふたした武士たちをからかっているのか、どちらなんでしょね。