甲斐絹(かいき)


絵甲斐絹

手織機に仕掛けた、たて糸の筬前の部分に、手描きか型紙により模様をつけてから織り、織り終ったらまた絵付けをして織り進めた。委しくはThe Kaiki Museumへ。

 
羽織の裏地は甲斐絹。わざわざ書かれているくらいなので、値打ちものだったと思われる。経・緯ともに、練り絹糸(アルカリ性薬液に入れて煮沸し絹に含まれるセリシンというタンパク質を除くと、絹糸に艶がでて柔らかくなる)を用いた薄手の先染め平織物である。密に織られて滑りが良かったことから、着物の裏地として知られていた。絵を織りだしたもの、絣にしたもの、絞り染めしたものなど種類も多い。

元来「海気・海黄・改機」は、ポルトガル船ついでオランダ船によりもたらされた輸入布だった。ベンガル産で、ポルトガル人がイランの都市バンダルアバス沖のペルシャ湾最大の島であるキシムCaikemの港から中国に運んだ。中国人はこの地名を「改機」にあてたのである。

江戸時代富士山の北麓から桂川流域に広がる甲斐国郡内地方(都留郡)で織られた絹の内、「織色郡内」は別色の経糸1本・緯糸2本を平織りに密に織ったので、光線の具合で玉虫色に変化した。この点、輸入布の「海気」と似ていて「郡内海気」の名があった。これが後に「甲斐絹(かいき)」に変わったものと思われる。「郡内縞」は今の「絵甲斐絹」である。

1755年の郡内絹上り高は3万420反。昭和初年まで着物地として織られていたが。今日では甲州織物として傘地や夜具地が織られるようになっている。