麻皮(青苧)を紡いで糸にし、手織りした麻布が生平、これを白く晒したものが奈良晒。その漂白方法は、まず、多量の灰汁を用い、臼搗き、天日晒しを何度も繰り返すというもので、柔らかな風合いの布である。
奈良晒は、慶長16年(1601)に尺幅検査を終えた布端に「南都改」の朱印を押して生産されるようになり、享保頃(1716〜36)までは年間に30〜40万疋の生産高を誇っていた。享保17年(1732)の『万金産業袋(ばんきんすぎわいぶくろ)』には、「麻の最上といふは南都也」と記されている。やがて越後縮などに押されて衰退へ向かった。
「守貞漫稿」によれば生平は京阪のあまり裕福でない層や草履取などが着たとのこと。麻は染めにくいらしく、縞柄なのがめずらしい。