越後上布絣


越後上布 井桁に花鳥のある絵絣

薩摩絣 元文年間(1736〜40)琉球絣にならって薩摩で織り始めたと伝えられる。経糸1本と緯糸1本の細かい十字の絣模様で、絹のような手触り。

 越後上布(じょうふ)は新潟県小千谷市、十日町、塩沢町に古くから伝わる平織の麻織物である。盛夏用の高級着尺地で、柄は絣や縞が主である。

 苧麻(ちょま)を原料にして、その茎の皮をはぎ繊維だけにして乾かして青苧(あおそ)にし、これをさらに爪で裂き口に含みながら撚り紡いで糸にして、染色し、居座り機で織った。麻は乾くと切れやすいので、豪雪地の湿度がよく、また冬の屋内仕事として農民は技をみがいた。また布は冬雪の上で晒した。積雪に反射する太陽熱により発生するオゾンにより白地はより白く色は落ち着き、繊維は柔らかくなるそうだ。

 越後では室町時代には越後青苧座が設けられ、三条西家を本所として東北地方の青苧の販売を独占していた。寛文年間(1661〜73)に、それまでの越後白布に改良を加え、緯糸に強撚糸を織り込む縮布を作りだした。

 絣(かすり)は部分染めした糸を用いて,ところどころかすったような模様を織り出す織物である。インドのアジャンタ洞窟寺院の天井絵画に四つ目菱や矢羽根風の絣柄がみられるので、インド起源とみられる。スマトラ・ジャワなどのスンダ列島にはマレー語でイカットという絣があるが、これは縛るとか結ぶといった絣の製法をあらわす語で、5〜6世紀頃インドからの移民により伝えられたといわれている。
 日本では沖縄上布・絹・芭蕉布の絣が古く、ついで薩摩絣が起こり、宝暦期(1751〜64)には大和木綿白絣が、天明期(1781〜89)前後久留米絣が始まった。そのほか備後絣、伊予絣、弓ヶ浜絣、倉吉絣、広瀬絣などがある。複雑な絵絣は、絵を描いて型紙を作り、種糸をつくって手で括って染め、模様を織り出した。