小袖

寛文美人図

寛文小袖

 
江戸時代の男女の衣服の主流となった小袖は、単純化された一枚の着物を着流すスタイル。飛鳥時代以来日本が大陸から取り入れたズボン型の衣服から脱した画期的スタイルだった。元来は下着だったのを、中世の庶民が表着として採用し、応仁の乱をさかいに貴族・武家の日常着も小袖に一元化された。初期の小袖は身幅が広く、袖幅は狭くて長さが短い(小袖の部分名称はこちらへ)。これは身体を暖かく包む下着としての機能を残していたためで、女性も立膝ないしあぐらが普通だった当時、前がはだけない余裕があった。そのかわり長さは身丈いっぱいの長さしかなく軽やかな感じがする。

室町時代末から江戸時代にかけては辻が花染、縫箔、縫絞など独特な小袖模様が生まれた。慶長期(1596〜1615)の小袖のかたちは今日に近づいた。寛文六〜七年(1666〜67)に小袖の雛形(ひいながた)本が作られたが、そこに見られるデザインは肩から裾までの大模様を、右肩寄りの染めわけであらわした大胆なものである。これは現在「寛文小袖」といわれるもので、疋田絞(ひつたしぼり)と刺繍によるものが多い。

元禄期(1688〜1704)には寛文小袖の余白部分にも模様が描かれるようになった。また自由な形と色を染め出軽やかな華やかさのある友禅染が流行した。この頃までの帯は10センチ程度の細幅である。

江戸時代後期には、女性の髪型が多様になり、それとのバランスから帯の幅が広くなり胸高にしめるようになった。これにより小袖の模様にも帯でじゃまされないような上下分かれた模様や、全体模様、裾模様など多様になった。また階層により着衣の区別が進むようになり、一般的に社会上層ほど派手であったが、庶民は小さな文様や抑えた色彩を「粋」とした。