縞模様

 江戸時代中期以降、縦縞が流行した。この志向性について、昭和初期の美学者九鬼周造(1888-1941)が「いき(粋、上方では「すい」)」という美意識との関係性を指摘している。異性に対する「媚態」とそれと相反する「意気地」の二元性が「いき」の本質であり、竪縞はその二元性が最も明瞭に現れるデザインなのである。
 茶道の世界では、室町時代から「かんとう」(間道・漢東・漢島・広東)と呼ばれる縞の織物が知られる。
 着物地の縞は当初「筋」とよばれていたが、南蛮船や紅毛船、中国船が島渡りの布をもたらすと「嶋」といわれ、それが本来「白絹」をさす「縞」に変わったといわれている。「嶋」はアジアで織られた縦縞の布である(16〜17世紀のアジアの主要産品と交易の図を参照)。江戸幕府が貞享二年(一六八五)から中国広東の船を奥船と規定したことからそれより西は「奥嶋」ということになり、そこからもたらされる縦縞の布は「奥嶋」と呼ばれた。特にインド東岸のサン・トーマス港からもたらされたという「算留」「桟留」は、細番手の糸で織られ布の奥から滲み出るような光沢があり、江戸時代中期に大流行した。藍色を基調に紅・茶・黄などに草木染で染め上げた糸で織られた縦縞地である。紅のものは少なかったので特に珍重された。

 後に川越などで「唐桟」として国産化され、庶民の最も愛好する模様となった。現在伝統的な唐桟は千葉県館山(房州館山「唐桟織」)で織られている。

安房館山唐桟(綿)

木綿地唐桟縞模様小袖(東京国立博物館)
唐桟留見本裂(東京国立博物館)
縞模様
大名縞 縞糸二本に対して地糸六本以上の単純な縞柄を四つ目大名とよび、江戸の中期に大流行した。乞食も着るといわれたところから、乞食大名の名もあった。縞糸に赤を用いたものを赤大名ともいう。大名筋ともよばれ、地方により縞糸と地糸の割合に多少の違いがある場合もある。左は鈴木春信「縁先のささやき」(東京国立博物館)。くどかれているほうらしい若いつばめ(右側)の帯が大名縞。
弁慶縞 同じ幅の縦筋と横筋が重なったもので、碁盤目のように織りあわせて作った格子縞。通常幅1センチ以上ある。歌舞伎十八番「勧進帳」の弁慶の衣装に使われる。左は歌川国芳「縞揃女弁慶 松の鮨」(東京国立博物館)。