| 衣装 着物 | |
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嘉永四年(一八五一)の「衣服類之控」によれば、武兵衛さんの息子、午之助さんの衣装は次の通り。けっこう衣装持ちのように思われるし、裃・袴という礼装以外の、いわゆる晴れ着に結城紬や甲斐絹などの絹物をはりこんでいるところが、大坂人らしい。古くなると、普段着に「おろす」ことをしている。布地は木綿や絹、夏には麻と多様で、色は茶系と青系、柄は縞々や小紋が多く、江戸時代後期の流行に従っていたというべきだろう。 4月の更衣から袷に単の羽織、端午から単物に絽の薄羽織、九月から袷、重陽から綿入にするという説もある。 単物(ひとえもの) 裏をつけないで仕立てた小袖をいう。室町時代頃は綿入れを小袖と呼んだので、綿の入っていないものを袷と呼んで区別した。略服だが、初夏・初秋にはこれを着、夏期に着る者も多かった。 帷子(かたびら) 単物のうち夏用の麻布・葛布の小袖をいう。京阪では奈良晒麻布を水浅葱色などに染め、白で定紋を抜いたものがよく使われた。越後上布の縮が使われることもあった。幕末には薩摩上布の紺絣も使われたが、一反三〜七両と高価だった。
袷(あわせ) 裏をつけて仕立てた和服で、単物・綿入に対していう
綿入 裏をつけ中に綿を入れた防寒用の衣服
胴着(どうぎ) 腰までの丈の綿入れ衣服、冬〜春、防寒用として上着と肌着の間に着た。
羽織 桃山時代には武家が馬上や野外で小袖の上に着用した上着を「胴服」といい、これが江戸時代に羽織となった。下級武士や町人では裃のかわりに礼装の上着として袴とともに用いられるようになった。江戸時代中期には江戸深川芸者が羽織を着始めてから、女性も着用するようになった。
裃(かみしも) 礼装。『守貞漫稿』によれば京坂の町人は正月年始礼には麻の裃を着し、盆は継裃といって肩衣・袴の別模様のものを用いた。
袴 袴 小倉赤嶋袴うら花色秩父 ゆかた もともと蒸し風呂入浴時に着用した「湯帷子(ゆかたびら)」「浴衣」だったのが、湯上がりの着物となり、江戸時代中期以降は夏場に帷子にかわるものとして使用された単である。
下着 小袖の下に着る服のことで、江戸時代後期には肌着である襦袢の上に着用されるようになった。江戸後期には上方では白綸子、江戸では白羽二重が一般的だった。武家や金持は紋付の下には無垢といって同色の下着を使用したが、中民以下は小紋柄の下着も着用した。冬には二枚重ねて着用し、同じ模様を用いる「対の下着」が好まれた。
ばつち 長い股引をいう。京阪のぱつちは筒が太く緩やかで、文政期(1818〜30)以降の江戸のぱつちが細くぴったりとなったのと違った。
帯 博多帯2 黒帯1(普段着にする) 帯(堺新蔵殿形見、普段着にする) 脇指 その他 木綿嶋(頂戴、普段着にする) 茶の実小紋付みどり茶 嶋ちりめん 畳嶋 |