本膳料理
 江戸時代の大坂町人の日常食は「朝は粥、昼一菜に、夕茶漬」といわれるようにつましいものであったが、婚礼などのハレの食事は派手にした。元治元年(1864)9月、武兵衛さんの末娘このが養女となった折、先方で出された料理は正式の本膳料理である。おそらく仕出し屋といわれた料理屋に作らせたものだろう。

 本膳料理は室町時代に武家の饗応料理(式正料理)として確立し、日本料理の原型を形作ったとされる。ただ儀式ばっていたため、江戸時代には儀式的なご馳走に限られ、日常的なご馳走としては、料亭などで酒を飲むためのコース料理である会席料理が主体となっていった。

本膳料理は、1人分の料理を脚つきの膳の上に組んで、上図のように一度に並べるものである。飯に一汁(味噌汁)と三菜のおかれた一の膳(本膳)の右左に、ニの膳・三の膳が置かれた。四の膳の焼物(鯛の姿焼きなど)と五の膳のかまぼこ・果物などの引物といわれる料理は出ても箸をつけず、お土産として持って帰る習わしである。

 このの養女入の儀式では、まず式三献といういわゆる盃事があり、その間雑煮と硯蓋という独特の器に盛られたきんとん・羊羹・寒天菓子等の甘味類(料理の一品として出されるため料理菓子とも呼ばれる)やあるいは蒲鉾、牛蒡や小魚の佃煮といった保存の効く食物が供されている。