端午
 中国では、端午とは月のはじめの午の日であったのが、漢の頃に五月五日となり、ヨモギで作った人形を門にかけ、菖蒲酒を飲み、五色の糸で作った長命るを肘にかけて、病や災厄を祓った。九世紀には朝廷行事として整えられ、菖蒲を編んでかずらとして着用したり、粽を食べることも始まっている。粽は水にひたした米を水切りして臼でつきくだいた「しとぎ」を水や湯で練り、邪を祓うと信じられた茅萱や真菰の葉で包み灰汁で煮たり蒸したりしたもので、神饌として備えたり保存食にした。また紀元前三世紀頃の楚の政治家屈原にちなむ話がある。屈原は祖国が秦に滅ぼされるのを悲しんで淵に身をなげたのであるが、人々が竹筒に米を入れて供物としたのを、霊が現れて龍に盗まれないようオウチの葉で包み五色の糸でしばってほしいと告げたという伝説がある。五色の糸でまいた飾り粽は「伊勢物語」や定家の「明月記」にも出てくる。現在では笹の葉で巻きいぐさで括っている。
 江戸時代には端午の節句が男の子の成長を願う祝いとなり、柏餅を食べる風習も始まった。柏は秋に枯れ葉となっても枝に残り、春に新芽がでてから落葉するので、子孫繁栄に通じる縁起のよい木とされていた。「守貞漫稿」によれば、京阪では男子の初節句に粽、2年目からは柏餅を配ったといわれる。