早朝から快晴。船に乗り組んだ8人と他に船頭3人が案内について日の出頃から金比羅様へ参詣に出かけた。多度津から金比羅様のある象頭山までは118丁〈13キロ弱〉ほどあって、四つ頃金比羅様の門前町に到着した。道筋は善通寺へ行く道と同じで、町の中程の鞘橋の向こう側に出た。高松からの道のところには大きな銅の鳥居がみえた。
鞘橋から半町ほど右手の備前屋幸八という旅籠でちょっと休憩、すぐにお宮へお参りした。一の坂を上がり、仁王門に「象頭山」とあって、塔頭が右手にいくつかあった。左側には桜などの植木が青々としていて、玉垣をずっとめぐらしている。石段を五つばかし上った。そこに神馬堂・茶所・宝塔があったが、大鰐口は昨年噂があった通り大きすぎて掛けることができなかったようである。金堂の本尊薬師如来はたいへん見事で、屋根はすべて赤銅、彫刻も所々たいへん立派である。須弥壇はまだ作りかけだったが。それから上がっていくと、右手に見事な井戸、鐘楼堂があり、長宗我部氏が建立したという門を通った。石段の玉垣は見事で、銅や石の灯籠もどっさりあった。
御本社は敷石がすばらしく、廻廊のような社殿があって、屋根は極彩色だった。ここでは脇侍に灯明を差し上げることができ、また半開帳をお願いすると、御坊が金の御幣を頭の上に掲げてお祓いをしてくれる。本社前から右手には、海・町家・讃岐富士が見え、見事な景色だった。それから奥の院の三十番神に参詣した。本社の下を三度廻った。年来参詣したいと願っていた心願が叶って、ありがたいことだ。本社の左手には、ろう石や金銀の灯籠、唐金五十の塔などいろいろたくさんあって、見事見事。それから絵馬堂その他見物して、昼飯頃に備幸に戻り、食事をして、七つ下りに多度津の船まで戻る。船宿浜屋半四郎というところで入浴して休んだ。
備幸より多度津まで馬を借りた代金400文、馬方は老人で馬に腕をかまれたといい、また善通寺の門前でしばらく待たせたので、酒手として24文を渡した。
わがふるさと、讃岐の国の金比羅さん。江戸時代は神仏混交していて、真言宗で象頭山金光院松尾寺といった。金比羅は元々薬師如来の十二神将の一人、宮比羅大将(クンビーラ)であり、子の方角を守護、シンボルカラーは黄色である。元々はインドはガンジス川のワニの神格化されたもので、水との関係が深い。江戸時代には雨乞いの神、航海守護の神、金比羅大権現として信仰された。
武兵衛さん、ここにお詣りするのが長年の願いであり、現実にお詣りできて感激、見事、見事をくりかえしている。一つには両親がかって参詣していてその話を聞いていたためらしい。しかし現在の様子とはずいぶん変わっている。今は仏教色がないからである。
こんぴらさんの石段は、ご本宮まで785段さらに奥社まで数えると合計1368段の石段からなる。足弱の者には過酷な道法である。タクシーは途中の大門あたりまでしかいけないし、えらさっさのお駕篭があるが、高いし、よっぽど肝の太い人でないと恥ずかしくてたまらないだろう。2004年秋母と電車に乗って奥書院の障壁画を見に行ったが、たどりつくのに苦労した。金毘羅宮は駐車場がないから、とタクシーを上まであげない理由にあげたが、きっと駕篭屋の利権もあるに違いないとにらんでいる。