弘化3年(1846)6月14日(『幕末維新大阪町人記録』(清文堂出版、1994年)所収「肥前鹿嶋様御国行日記」より、現代文に直す)


長崎東郊の古賀で焼かれる土人形で「阿茶さん」。これは長崎に滞在した中国人の呼び名である。江戸時代の唐船貿易の最盛期には、1万人もの中国人が滞留した。

 朝、杉山氏が今日はしびを獲るのを見ませんかといったが、どうも沖の方での船遊びは好きでないので、うまいこといってお断りした。山口氏の案内でいろいろと見物に出た。出かけ大波止のところで大村藩の御家老様はじめ御役の方々が騎馬でお帰りになられるところに出会ったが、馬印なとが見事だった。それから大浦に行くと、大村様の船が曳航されてきて賑わしかった。ここは大村領で御公儀の支配地である。
 出島屋敷、唐館は外から拝見し、異国船入船の事情もあるので館内には入らなかった。小高いところから唐館の内の唐人が見えた。それから梅ヶ崎天神と大徳寺を拝見、寺に東海の石碑と唐館が見えるところの見物を頼んだが断られた。それからさざい堂見物、崇福寺・興称寺(興福寺か)を拝見して宿に帰った。すべて山口氏に案内してもらった。

 鹿島旅行のついで、折からオランダ船の入船があり誘われて見物に行っている。宿は鹿島藩の長崎御用達山口庫之丞の向かいの杉山宅。山口の案内で長崎を3日間見物した。たまたま唐船二艘の入船により防備の大村・福岡他諸藩の武士が入り込み、祇園祭の時期とも重なって賑わしい様子だった。
この日は14日はオランダ商館のある出島や、中国人の居留区である唐人屋敷を外から拝見している。前夜は寄合町の筑後屋という揚屋で芸者をあげて遊び、次の日は日蓮宗の寺、福済寺、諏方神社、天満宮、祇園社を見学し、オランダ通詞の人のところにも立ち寄っている。
武兵衛は長崎湾に福岡藩の船が浮かぶ様子を、日本一の景色と感動している。長崎図、唐人踊などのいわゆる長崎絵を土産として持ち帰り、コレクションに加えている。