尾張の殿様はこの間から西本願寺にご滞在であったが、今朝出発された。どういうことなのか、早々と出立されたものである。しかし東御堂には台所方に会津藩の雑用方の者が泊まって、毎日600人ばかりの飯を炊いて車に飯櫃を乗せて大坂城内に届けているということだ。早朝から「調練」たらいって、なんじゃわからん事を言って、多人数があっち向いたりこっち向いたり、横になったり、縦列を組んだり、小股で歩いたり、大股で歩いたり、稽古している。みんなずぶの素人みたいだ。戦乱の最中に稽古していて、間に合うものかしらん。兵隊には乞食のような者も混じっているとのことで、これが将軍直属の歩兵とは、世も末じゃ。異国人がひげを剃って裃を着て、御老中の地位について大隅守と名乗っているとかいうし。
諸国はもちろん大坂市中にも、この間から、いろいろな神様の御祓いやら、仏像やら、金の玉やら、御幣やら、扇子、小判、二朱金、一朱銀、百文銭、金仏、石地蔵、何という理由もなく天から降って来て、皆踊り歩いている。御祓いが降った家では7日ほどは御祭をするので、参詣するといって踊り込んでくる。その多くの人たちに酒やら肴やら、握り飯だのご馳走するので、今橋筋や高麗橋筋の大きな商家はたいへんな物入りで、奇奇妙妙である。今年はこうした不思議なことがあって、面白し面白し。ぜひ後世にまで残したいと、来たる辰年の祝いの歌を作ったら、北の新地で大流行した。今年はこれで日記はおしまい。
おもしろや ぢいもおばばも もろともに うかれうかれて おどりつつ 今からお伊勢へ たつのとし ゑじヤないかゑじヤないか ゑじヤないか 花井作 立笑調
武兵衛さんの慶応三年最後の日記の記事である。この年10月には大政奉還、12月9日には王政復古が宣言され、翌年正月早々から戊辰戦争が始まるこの時期。武兵衛さんは大坂城にいる将軍慶喜の動向に批判の眼を向けている。寄せ集めの兵隊を集めての西洋式軍事調練はわけがわからないし、いまさら遅すぎる。フランス人を重用しているのも気に入らない。武兵衛さんはどちらかといえば、幕府方に味方していた。でもそろそろ潮時かという気持ちもある。何といっても、秋からこのかた、天から御札だの何だの降ってきて、みんなええじゃないかええじゃないかと踊り狂うという不思議なことがあって、神様も異国人に肩入れしている幕府を見放した気がするのである。
武兵衛さんの主人の平野屋孫兵衛の本家筋の豪商平野屋五兵衛のところにも、11月中に不動明王やら伊勢神宮やら金比羅様やらの御札が降った。おもしろいのは、この御札降りには出入りの屋根職人の息子で16才になるのが、天狗の御使いとして神がかり、御札降りを予言したり、神託をのべたりしていることである。屋根屋といえば高いところは得意だろうし、息子はいろいろご馳走されていい目をしている。どうみても屋根屋親子が御札を降らせた張本人じゃないかと私などは思うのだが、武兵衛さんは奇妙といいつつ、奇跡を信じているようだ。あげくのはてにうかれた年祝いの歌を作っているが、先行き不安な政治的大変動のさなかで、明るい未来を願う気持ちはよくわかる。