麦秋や狐のゝかぬ小百姓
木の芽時にちょっとおかしくなる人も多いが、この百姓にはどんな狐がついたことやら。走ったり跳ねたりするのか、こんこん鳴いて油揚げを食べるのか、それとも百姓の身にも似合わぬ大それたことを企てているのか。謎である。加持祈祷しても、この狐、忙しい麦刈りまでに出て行きそうにもない。
|
蕪村には狐や狐につかれた人の句が多い。狐つきというとなんやらおどろおどろしい気がするが、そんな様子でもない。むしろ楽しく化かされてみたいような、そんな人間との親しさが感じられる。
水仙に狐あそぶや宵月夜
蕪村の時代は、狐がまだ大坂市中にたまに出現するような時代だった。もちろん近郊農村にはまだたくさんいて、農民たちは稲荷神のお遣いとして尊重し、寒施行といって狐にお供えをして収穫を占う古い習俗も生きていた。
また人々の意識の変化もあった。社会が安定して欲望が膨張する中で、人々はより積極的に現世の幸せを願うようになり、その導き手を求めた。病気を治すのはどうすればよいか、どうすれば商売がうまくいくか、などなど。それに答えてくれたのは、えらい医者でも庄屋でもなく、身近に住む宗教者、たとえば稲荷巫女といわれる女たちだった。身に稲荷をおろし狐を寄せて託宣をした彼女たちは、ある人々からは人心を惑わす無知蒙昧な輩と軽蔑され、大坂の「名与力」とされる大塩平八郎に「キリシタン」として死刑に処せられた稲荷巫女豊田貢のように、権力に弾圧された。しかし豊田貢が幕府の取り調べの際申し述べたように、彼女は不幸な生涯の中で、人々の不幸に感応し、その救済を願った者でもあった。
巫女に狐恋する夜さむ哉
草枯て狐の飛脚通りけり
|