菜の花は、蕪村の気分に似合う花だと勝手に思っている。菜種は摂津・河内で種から油を取るため裏作として作られ、農民にとっては現金収入をもたらしてくれる重要な作物であった。また全ての人にとって、闇夜を照らし生活を明るくしてくれる灯油の原料として、親しく、また貴重な存在だった。
大坂の人は「黄金の花見」といって菜の花畑を楽しんだが、その色だけでなくその価値も豪奢な色なのだった。明るい初春の空に、菜の花と麦の緑が入れ混じる、その風景は豊かで美しい。
しかしこの豊かな景色の中にも、貧しさは存在する。

菜の花や油乏しき小家がち
菜種を作って大坂の油絞業者に売る。精製された油は高価で、生産者農民には手が出ない。夕暮れ菜の花畑の中に静まる村、小さな家が多くて、そこから洩れる灯は少なく小さい。節約しているのだろう。しかし百年前なら闇はもっと深かっただろう。この時代、菜種や油の自由な売買を求めて農民たちは連帯して「国訴」を闘った、それを思う。
|
大坂北郊の長柄・十三から福島・曽根崎、三番村あたりは菜種地帯だった。三番新家には紙屋という料理屋があって、花の頃、この二階からのながめは黄金を敷いたようで、かなたの中津川を白帆の船が行き来するすばらしいものであったという。武兵衛さんも福島で菜種の花見をしている。
|