新町
「摂津名所図会」より新町九軒町 太夫の道中が行われている。まだ桜は植えられていない。


新町橋のなごり

江戸幕府は公娼制を取り、大坂では新町を囲い込まれた遊廓として認めた。

新町の中は、瓢箪町・越後町・吉原町などと町にわかれていたが、九軒町は北東方向にあり、位の高い遊女を呼んで遊ぶ「揚屋」が立ち並ぶことで有名だった。「揚屋」は豪奢な造りで知られ、代価も豪奢だったので、まあふつうの人が揚屋で遊ぶということはなかった。よほどのお金持か、接待などで使われたと考えられる。しかしふつうの人もひやかしにはでかけていたようである。節句には「太夫」「天神」の華やかな道中も行われて、見物人が群集した。文政2年(1819)に九軒町の揚屋の前に桜を植えてからは、夜桜見物も有名になった。