商売繁盛 船場の本両替

北浜の金相庭所のあった浜通の現在のようす

武兵衛の勤めた平野屋孫兵衛は、豪商平野屋五兵衛の有力別家。大坂でも十本の指に入る本両替である。問屋商人や大名に大金を貸してその土台を支えた本両替は、誇り高い。小銭を扱う銭屋ふぜいとは違うというのが武兵衛さんのプライド。

本両替の仕事はたくさんあるが、貨幣の両替、お得意様相手の商業金融、大名貸といわれる領主金融が三本柱。

そして大坂の本両替たちは、毎朝、船場北部の北浜にあった金相庭会所に「相庭役手代」を派遣して金・銀・銭や為替を売買して、貨幣相場を立てた。その相場は、両替屋の手代や相場飛脚により各地に伝えられ、大坂、そして西日本各地の両替相場の基準となった。幕末には、この北浜の浜通の南手(左側)に相庭所があり、北手(右側)の大川沿いの浜地に本両替の相庭役手代の控所があった。相庭役手代たちは、その行き帰りに通るこの浜通でも、集まってきた銭屋たちと貨幣を売買した。さぞかし賑わしかったことだろう。
懐徳堂のおかたい儒者の中井竹山先生などは、貨幣の売買などは天下御免の大ばくちじゃ、と非難している。若いときには主家の相庭役手代もした武兵衛さんは、そのおそろしさをよく知っていたのだろう。自分では貨幣売買には手を出さなかった。