夕陽丘女学校跡碑
織田作之助文学碑 口縄坂を登りきったところにある。1944年『木の都』より 、「口縄坂は寒々と木が枯れて白い風が走っていた 私は石段を降りて行きながら もうこの坂を登り降りすることも当分あるまいと思った 青春の回想の甘さは終り 新しい現実が私に向き直って来たように思われた 風は木の梢にはげしく突っ掛っていた」とある。
下寺町2丁目から、東の夕陽丘町の高台に上る坂で、坂の下からながめると「口縄(蛇)」のように曲がっている。名前の由来としては、他に大坂城築城時の縄打口(起点)であったとの伝承がありこれにちなむという説もある。 最初は石畳で途中から石段になる。付近の浄春寺には天文学者の麻田剛立、画家田能村竹山の墓所がある。 上町台地は大阪城のあたりから南へ12キロほど、幅は2〜2.5キロでのびている。二千年ほど前までは海に南北につきだした半島であったという。台地の海抜は10〜23メートルほどで、西側とは段差があり、それが台地上の谷町筋と台地下の松屋町筋との間の坂を生み出す。特に「七坂」といわれる坂は有名で、北から真言坂、源正寺坂、愛染坂(勝曼 坂)、清水(きよみず)坂、天神坂、逢坂。
下寺町2丁目から、東の夕陽丘町の高台に上る坂で、坂の下からながめると「口縄(蛇)」のように曲がっている。名前の由来としては、他に大坂城築城時の縄打口(起点)であったとの伝承がありこれにちなむという説もある。
最初は石畳で途中から石段になる。付近の浄春寺には天文学者の麻田剛立、画家田能村竹山の墓所がある。
上町台地は大阪城のあたりから南へ12キロほど、幅は2〜2.5キロでのびている。二千年ほど前までは海に南北につきだした半島であったという。台地の海抜は10〜23メートルほどで、西側とは段差があり、それが台地上の谷町筋と台地下の松屋町筋との間の坂を生み出す。特に「七坂」といわれる坂は有名で、北から真言坂、源正寺坂、愛染坂(勝曼 坂)、清水(きよみず)坂、天神坂、逢坂。