おまいりする 高津宮(こうづぐう)
 高津宮は道頓堀の東、上町台地上にあり、江戸時代には大坂市街や港、住吉まで一望できた。そのため大坂観光の最初にこの神社にきて、眺めをみることが多かった。右写真の建物の場所には「高台」があって、茶店が遠眼鏡を備えており、案内人が解説してくれたことが、『東海道中膝栗毛』や『摂津名所図会』の挿絵からわかる。

神輿庫は宝暦期(1751〜64)につくられたもので大阪大空襲をいきのびた。その右側には明和9年(1772)につくられた「高台頌碑」がある。南からは緩やかな石段をのぼる。このあたりは梅の名所でもあり、参道ぞいには黒焼屋や湯豆腐屋などが立ち並んでいた。

 高津宮は仁徳天皇を本座に、左右に5人の天皇・皇后を祀る。仁徳天皇は「高津宮」を難波におき、高台からの国見で人々の貧しさを知り税を免じたという故事がある。社伝によれば、清和天皇が貞観8年(866)に橘良基に詔して仁徳天皇の遺跡を訪ねて社殿を祀ったという。

 かつては高津宮のあたりに、仁徳天皇の宮があったと考えられていた。しかし高津宮も、社殿によれば元は上町台地北部の石山にあったのを、天治元年(1124)に東高津村に移し、ついで天正11年(1583)に豊臣秀吉が比売許曾(ひめこそ)神社境内である現在の社地に移したといわれるので、仁徳天皇の宮ももっと北にあった可能性が高い。

 境内には、比売許曾神社や高倉稲荷神社・安井稲荷神社がある。四月最初の初午には稲荷講社により神事がおこなわれ、落語で有名な「高津の富」の流れをひく富くじなどの行事もあるそうだ。

境内は梅の名所で、鳥居から本殿へのぼる途中に梅の橋(上図赤いところ)があった。2月11日には、王仁博士が梅花に「浪速津に咲くやこの花冬ごもり 今は春へと咲くやこの花」という和歌を添えて仁徳天皇に差し上げたという伝承にならって、梅ヶ辻の氏子が神前に梅花を奉納する。