おまいりする 四天王寺


四天王寺西門石鳥居 古くは木の鳥居だったのが永仁2年(1294)に、別当忍性により花崗岩の石の鳥居に建て替え、何度もの修補により今にいたる。正面中央には銅の扁額が掲げられ、「釈迦如来 転保輪所 当極楽土 東門中心」の文字がある。


五重塔・金堂・講堂が一直線にならぶ。


太子堂(精霊院)と猫の門 太子堂は聖徳太子を祀ったもので太子信仰の中心となった。奈良末までに、法隆寺東院にならって伽藍の東方に成立している。平安時代には絵解法師が絵堂に描かれた太子絵伝を語りきかせたという。

 謡曲「弱法師」で俊徳丸が「仏法最初の天王寺の、石の鳥居ここなれや、立ち寄りて拝まん」と入っていった、四天王寺の西門。ここは海をへだてて西方浄土の東門に通じているという信仰があった。ここから春秋の彼岸の夕方には大阪湾にしずむ太陽が見えるという。『梁塵秘抄』や『今昔物語』によれば、西門の外は海岸だった。観無量寿経では往生のための16の観法を説くが、第一に沈む太陽をみて極楽が西にあることを思う日想観があり、西門信仰はここから来たといわれる。中世にはこの信仰は庶民にまで広がり、西門外の極楽堂や新別所などにいた念仏聖らにより指導された。

 四天王寺は日本最古の官寺ともいわれ、聖徳太子が587年の蘇我氏とともに物部守屋をせめた際に、戦勝を祈願して「ぬりで」の木で四天王像を作って寺塔建立を誓願したことに発するといい、593年難波の荒陵(あらはか)に造立が開始されたと伝える。しかし推古天皇の時に造営が開始されたという記事もあり、玉造からの移建説もある。

 四天王寺の伽藍配置は、飛鳥時代の創建以来中門・塔・金堂・講堂を一直線に並べる四天王寺様式である。ただし発掘結果から講堂と回廊は奈良時代に完成されたことがわかっている。中心伽藍「敬田院(きょうでんいん)」は国史跡、建物は昭和38年の再建で鉄筋コンクリ製。39.2メートルの塔の最上部にし仏舎利が、金堂には救世観音といわれる本尊と四天王が祀られている。古代には鎮護国家と異国調伏の場として朝廷の尊信を得ていた。

 境内には多くの堂舎があり、江戸時代には神社もたくさんあった。

六時堂へ 盂蘭盆万灯会2004