おまいりする 玉造稲荷社(豊津稲荷社)


現在の玉造稲荷神社はビルに囲まれ入口がわかりにくい


玉造稲荷社(豊津稲荷社)は上町台地の東側、栗岡山にあり、垂仁天皇が勧請したとの社伝がある。天正4年(1576)の兵火で焼失し、豊臣氏により再建されたが、大坂城落城時に罹災、寛永8年(1631)に徳川氏が復興した。下の『摂津名所図会』では、奈良の方向を臨む舞台や天満宮、聖徳太子が彫ったといわれる十一面観音を安置した長楽寺観音堂などがみえる。東側正面の鳥居は慶長8年(1603)の銘文があり、豊臣秀頼の寄進と伝えられる。

 寛政元年(1789)6月におこなわれた砂持は、前代未聞といわれるほど人気を集めて、ねりものなども出た。東堀川の砂を取り、真田山あたりに積み置き、氏子がこれを稲荷社まで運んだ。