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3世中村歌右衛門 俳名芝翫(しかん) (1778〜1838)

 3世中村歌右衛門は、19世紀前半の化政期に隆盛した上方歌舞伎界を代表する役者である。小柄でぎょろ眼、役者に不向きであったが、変化物にすぐれ敵役・立役・女形をも勤める演技派の役者として人気を集めた。
文化10年(1813)に歌右衛門が江戸下りから帰ってきて中の芝居に出演すると、角の芝居に出演した美男でならした二世嵐璃寛と人気を二分し、大坂では芝居好きが熱狂した。鴻池屋一統は璃寛びいき、百間堀の錺屋治郎兵衛は歌右衛門派などと豪商から庶民にいたるまでどちらかに肩入れし、二人の対決を題材とした摺物も多く出て、武兵衛さんも集めている。武兵衛さんの役者絵のコレクションでは圧倒的に歌右衛門が多く、彼は歌右衛門びいきだったようである。
江戸時代、人気役者はスターであるだけでなく、最新モードの発信者でもあった。とりわけ、そのつけた衣装のデザインや色は大きな影響を及ぼした。


大きな目で義賊石川五右衛門に扮して見得をきる3世中村歌右衛門(春好斎北洲の役者絵からデザイン化)

芝翫茶の芝翫縞 三世中村歌右衛門が好んで用いたやや明るい茶色を芝翫茶という。たんすについている取手の鐶と4本縞を組み合わせたのが芝翫縞。文化11年(1814)6月に江戸中村座の「双蝶々曲輪日記」で放駒長吉を演じた際、競演の三代目板東三津五郎の家紋「三ツ大」に対抗して創案したという。「四鐶」を「芝翫」と語呂を合わせて出来たデザイン。しゃれている。

本画面の背景 中村格子 歌舞伎界で流行した文字入りの柄のうち、中村屋の「中」と「ら」を文字で表し、「む」を「六」と読み替えて、1本の太縞と五本の細縞で表した格子。