道頓堀は豊臣時代の末慶長17年(1612)から徳川時代初期にかけて、豪商で特権的な地位を得ていた久宝寺出身の安井家と平野出身の末吉・成安家が土地を拝領して自費で開削し、周囲に宅地を造成した。寛永3年(1626)には芝居が誘致され、後の芝居町の出発点となっている。道頓堀の賑わいは、大坂の町が武士ではなく町人により作られたことを示す歴史的遺産である。豊臣方について戦死した成安道頓の名が記念につけられていることは、大坂魂というものだろう。道頓の姓が安井ではなく成安であることがわかった経緯について知りたい人は、岩波新書『道頓堀裁判』を参照されたい。
江戸時代の道頓堀南岸は芝居小屋が林立し、浜側には芝居茶屋が立ち並び、料理屋も多くて、大坂随一の繁華地だった。現在の道頓堀の川幅は数度の埋め立てにより狭まっている。道頓堀は、豊臣氏が惣構えの一部として作った軍事的な東横堀を除いて、現在残された唯一の堀川である。「水の都」といわれた大坂の名残りを、大坂の自立精神とともに大切にしていきたい。