物見遊山 御霊神社の芝居


植村文楽座のあと


御霊神社は興味深い神社である。古くは上町台地西側の円江(つぶらえ)という入江の守護神、菟布良(つぶら)彦・同姫を祀ったとされ、円御霊(つぶらごりょう)の社ともいわれる。延宝期(1673〜81)には権五郎殿と呼ばれたが、これは鎌倉の勇猛で名高い鎌倉権五郎景政の霊が神として祀られているため。
武兵衛さんは例年、6月に御霊神社に夏神楽の御神楽料を納めていた。
今はビルの谷間にひっそりとしているが、かっては賑わしく、芸能の中心でもあった。「摂陽奇観」によれば、境内で人形浄瑠璃や女義太夫の興行が行われている。天保改革によりこうした神社での芸能興行は打撃をうけたが、安政3年(1856)には境内に隣接して植村家による文楽座がひらかれている。
武兵衛さんも元治元年(1864)4月20日に末の娘をつれて「御霊人形芝居」へ行っている。「兵吉法かい坊早替り、手桶より出、けんだいへきへる、屏風の内二て早替りきれいきれい」と感想を日記に記している。法界坊が出てくるなら、「隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)」だろうか。 
土間の割合座席で観劇したらしく、木戸銭と座布団代が300文、それにたばこ盆代が20文、茶・みかん・菓子代が20文、総計340文であった。当時日雇の手間賃1日分が100〜300文くらいであることを考えれば、そう安いとも思われないが、歌舞伎などに比べると安価だった。