曽根崎心中の舞台となった天神さん。今はビルの谷間に埋もれるようにありますが、昔は鬱蒼とした森だったらしい。
武兵衛さんの日記によれば、慶応2年(1866)5月15日、米高値の折から、大坂北部の曽根崎村・北野村の村人が、米の「施行」(せぎょう、ほどこしのこと)を要求して、さなくば米屋などをうちこわそうと、この神社で相談したことがあった。これらの村は、大坂の町続きでかなり家が建て込んでいて、油絞りの労働者なども多数住んでいた。
この天神さんは武兵衛さんの家からは5分くらいのところなので、早速でかけている。表の門は閉め切られていたが、のぞき込んだのか、中に「床」といわれる台を並べ、酒樽を据え、御湯立に使う釜で酒のかんをして飲みながら、なにやら相談している様子と、日記に書かれている。